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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)7309号 判決

守口市大宮通一丁目三〇番地

原告 青木茂

〈ほか七九名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 大野正男

同 大橋堅固

同 小林勤武

同 鏑木圭介

右小林勤武訴訟復代理人弁護士 三上孝孜

東京都千代田区丸ノ内一丁目一番地

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 藤井松太郎

右訴訟代理人弁護士 鵜沢勝義

右訴訟復代理人弁護士 鵜沢秀行

右訴訟代理人 堀部玉夫

〈ほか七名〉

右当事者間の頭書事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一  被告が原告広井、同森に対し昭和四二年一〇月一日になした各減給処分、原告青木、同庄司、同高岡に対し同年五月四日、その余の原告らに対し同年一〇月一日にそれぞれなした各戒告処分はいずれも無効であることを確認する。

二  被告は、原告森に対し金一、三七七円、同広井に対し金一、四六四円、および右各金員に対する昭和四二年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告森のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、原告森、同広井において第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  主文第一項と同旨。

2  被告は、原告森に対し金一、四一七円、同広井に対し金一、四六四円、および右各金員に対する昭和四二年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および2につき仮執行の宣言。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

≪以下事実省略≫

理由

第一  被告の本案前の主張について

一般に確認の訴の対象となる法律関係は、現在の権利または法律関係でなければならないと解されているが、それは当事者間の紛争を直接的かつ効果的に解決するためには、通常紛争の存在する現在の権利または法律関係について、国家機関である裁判所が公権的にこれを確認すれば必要にしてかつ十分であり、その前提となる過去の法律関係の存否まで確認することを必要としないからであって、過去の法律関係であれば当然に確認の訴の対象として適格を欠くということまでも意味するものではないと解すべきである。換言すれば、過去の法律関係であっても、それによって生じた法律効果につき現在法律上の紛争が存在し、その紛争の抜本的な解決のために右法律関係の存否について確認をすることが最も必要かつ適切であり、またその利益もあると認められる場合には、右は確認の訴の対象として許されるものと解するのが相当である。

ところで、原告らは、本訴において原告らに対する本件懲戒処分(その処分の日ないし内容等は後記第二、一記載のとおり)の無効確認を求めているが、前段に説示したところは、かかる過去の懲戒処分の効力の有無が争われている場合にも同様妥当するものというべきであるから、以下原告らが右無効確認を訴求するにつき右説示の必要性ないし利益が存するかどうかについて検討する。

しかるところ、日本国有鉄道職員賃金基準規程(昭和四二年二月一五日職達第二号)によると、被告の職員の定期昇給は毎年四月一日に実施するものとし(三七条)、右昇給は、その所要期間を一年とし、被告の総裁が別に通達するものを除き四号俸と定められていること(三八条)、右昇給が具体的には毎年労使間に締結される「昇給に関する協定」により実施されていること、右協定中に昇給欠格条項があり、右条項に該当する者は所定の号俸だけ昇給額を減ぜられること、および原告らが昭和四三年四月期の定期昇給においていずれも一号俸だけ減ぜられたこと、以上の事実は、被告の認めて争わないところである。そして、右事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、昭和四三年四月期すなわち同月一日付の定期昇給も同年三月二三日原告ら所属の国労と被告との間で締結された「昭和四三年四月期の昇給に関する協定」に基づき実施されたが、右協定でも、昇給欠格条項が定められ、右条項によると、昇給所要期間の一年間に、六か月以下の期間の減給処分を受けるか、または戒告処分を一回受けると、当然に一号俸だけ昇給額が減額される取扱いになっていること、および原告らはいずれも本件懲戒処分を受けたことを理由に右協定により右定期昇給において右のとおり昇給額を一号俸だけ減額されたが、右減俸による減収は原告らが被告の職員として在職する間継続し、その影響による不利益は在職中の基本給、ボーナス等ばかりでなく、将来退職した場合の退職金や共済年金にも及ぶものであること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、原告らは昭和四三年四月一日実施の定期昇給において、本件懲戒処分を理由に当然に一号俸だけ昇給額が減額される不利益を受け、しかも右不利益は原告らが被告の職員の地位にある間、特別昇給により是正されるなど特段の事情のないかぎり継続するものであることが明らかである。

ところで、原告らは、右懲戒処分の結果被る給与上の不利益については、右処分の無効を理由に本来受けるであろう給与との差額の支払を訴求してその回復を受けることも理論的には可能である。しかし、右救済方法では被告が右処分の有効を主張するかぎり、原告らは、今後昇給に際して右給与上の不利益を受ける都度、その回復のために給付訴訟を提起しなければならないものというべく、かくては原告らに対し、実際問題として余りに難きを強いるものといわざるを得ないのである。むしろ、原告らが本件懲戒処分を受けた結果、右のように当然に昇給額の減額をきたし、しかも原告らにおいて、被告の職員として在職する限り右減額による不利益が継続し(原告らの退職後も右不利益がおよぶものであることは前記認定のとおりである)、これがひいて原告らと被告間の雇用関係上の紛議の種となっていることにかんがみれば、右懲戒処分は、単なる過去の法律事実にとどまるものではなく、かかる継続的不利益という現在の法律上の紛争の根源をなしているものというべきである。そして、右紛争を抜本的に解決するためには、数多くの権利義務を包摂する継続的法律関係としての原告らと被告間の雇用契約の特殊性を考慮し、右不利益の右根源をなす右懲戒処分の効力の有無を確認するのが最も有効かつ適切な救済方法というべきであり、それは紛争解決の直截性、および訴訟経済の要請にも合致するものといわなければならない。

なお、原告らが前記昭和四三年四月期の定期昇給においていずれも一号俸を減ぜられたのは、直接には前記昇給協定に基ずくものであるけれども、その理由は、原告らが本件懲戒処分を受けたことによるのであって、このことは前記認定のとおりであるから、右昇給減額による前記不利益の効果はまさに右懲戒処分の効力のいかんにかかっているものというべきである。したがって、右昇給協定の存在を理由に、右昇給減額の措置は右懲戒処分とは別個の事由に基づくものであるとして、原告らにおいて右懲戒処分の無効確認を求める利益がないなどと断じ得べきものではない。

そうだとすると、原告らが本訴において、本件懲戒処分の無効確認を求めることは、前記説示に照らし許されるべきであり、またその利益もあるものというべきであるから、原告らのこれが無効確認請求部分は適法であるといわなければならない。したがって、右に反する被告の本案前の主張は採用できない。

第二  原告らの本件懲戒処分無効確認請求の当否について

一  当事者間に争いのない事実

被告は、国鉄法に基づき鉄道事業等を経営する公共企業体であり、原告らは、いずれも被告に雇用され、本件懲戒処分当時、それぞれ別紙(一)当事者目録勤務箇所欄記載の勤務箇所に勤務していたものであり(ただし、七六番の原告在町を除く、≪証拠省略≫によれば、同原告の勤務箇所は宮原操車場であることを認めることができる。)、また、国労の組合員である。被告は、原告らが「昭和四一年四月二六日に行なわれたいわゆる春季斗争において当地は自ら現地に出向し斗争に参加して正常な業務の運営を阻害したことは、職員としてまことに不都合な行為であった。」という理由で日本国有鉄道就業規則六六条一七号、国鉄法三一条一項一号により、その総裁名で、原告らに対し本件懲戒処分、すなわち原告青木(一番)、同庄司(二番)、同高岡(三番)に対し昭和四二年五月四日いづれも戒告処分を、原告広井(五九番)、同森(七八番)に対し同年一〇月一日いづれも減給一か月三〇分の一の減給処分を、右各原告を除くその余の原告らに対し同年一〇月一日いづれも戒告処分をなした。

二  本件懲戒処分の法的性質

被告は、被告と原告らとの間の雇用関係はいわゆる公法上の関係であり、したがって、右懲戒処分は公法上の処分であるから、当然に無効となるものではない旨るる主張するので、以下右主張の当否について考察する。

1  被告の営む事業の本質は一般私企業によっても経営され得る非権力的作用の性格を有するものである(国鉄法三条)。したがって、被告が、従前純然たる国家行政機関によって運営されてきた国有鉄道事業を国から引き継ぎ、これを能率的に運営発展せしめ、もって公共の福祉の増進に寄与する目的で設立された公法人であること(同法一条、二条)、あるいは被告の職員が全体の奉仕者としての公務員にあたるものと考えうること(憲法一五条二項)等は、これをもって直ちに被告と、その職員との雇用関係を公法上の関係と断定する根拠となし得ないものというべきである。

2  思うに、被告と、その職員との雇用関係の法的性質は、右関係を規律する実定法の規定に即して決定するのが相当である。

これを、国鉄法、公労法の規定についてみるのに、国鉄法は職員の任免の基準、給与、分限、懲戒、職務専念義務につき、国家公務員法の場合と類似の規定を設け(二七条ないし三二条)、職員は法令により公務に従事する者とみなす旨規定し(三四条一項)、また、公労法は職員および組合の争議行為を禁止している(一七条一項)。

右各規定に徴すれば、被告の職員が一面において国家公務員と同一の取扱いを受けていることは否めないところといえる。しかしながら、右職務専念義務等に関する国鉄法二七条ないし三二条の規定が一般私企業の就業規則等にもしばしばみられることは当裁判所に顕著な事実であるばかりでなく、他方同法は役員および職員に対しては国家公務員法を適用しない旨(三四条二項)、また職員の労働関係に関しては公労法の定めるところによる旨(三五条)をそれぞれ規定し、さらに公労法は、国家公務員の場合と異なり、被告の職員に対し、賃金、労働時間、休憩、休日、休暇に関する事項、昇職、降職、免職、および懲戒の基準等に関する事項、その他労働条件に関する事項について広範囲な団体交渉権を認め、被告と対等な立場で労働協約を締結し得る地位を保障し(八条)、かつ被告とその職員との間に発生した紛争につき、斡旋、調停、仲裁の制度を規定している(二六条ないし三五条)。

これらの各規定をかれこれ検討すれば、たしかに被告の職員は、高度の公共性を有する鉄道事業に従事するものとして、一面において国鉄公務員と同一の取扱いを受けているが、このことから直ちに、被告のいうように、被告とその職員との雇用関係を目して公法上の関係であるとし、支配、服従の関係によりこれが律せられているとみるのは相当ではなく、むしろ前段説示に徴すれば、右雇用関係は、基本的には一般私企業におけるような当事者対等の原則によって規律せられているものというべきであるから、右雇用関係はいわゆる私法関係たる性質を有するものと解するのが相当である。

3  もっとも、公務員等の懲戒免除等に関する法律(昭和二七年法律第一一七号)、および日本国との平和条約の効力発生に伴う国家公務員等の懲戒免除等に関する政令(昭和二七年政令第一三〇号)は昭和二七年四月二八日以前の事由に基づく被告の職員の懲戒免除は、政府がこれを行なう旨を規定し(右法律二条、右政令一条)、また国鉄法は職員の懲戒を行なう者を被告の総裁と定めているが(三一条)、前者は、被告の職員が国鉄法施行の際、国家公務員から移行した事実にかんがみ、法律が特に右事項にかぎり、右職員を国家公務員と同様に取り扱うことを定めたものと解され、また後者は、被告の職員に対する懲戒処分の重大性にかんがみ、法律が被告の総裁に対し、特にその権限を与えたものであると解されるから、右各規定の存在は別段右判断の妨げとなるものではないというべきである。

4  以上の次第であって、被告とその職員との雇用関係は私法関係の性格を有するものとみるべきであり、ひいて被告が右職員たる原告らに対してなした本件懲戒処分は公法上の処分たる性質を有しないものというべきであるから、右処分に無効事由が存すれば、それが重大かつ明白な瑕疵にあたらなくても、該処分は当然に無効に帰するものといわねばならない。

したがって、右に反する被告の前記主張は採用できない。

三  本件懲戒処分理由に該当する行為の存否

1  本件半日ストにいたるまでの経過

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 国労中央本部における本件半日スト決行体制の確立

(1) 国労は、昭和四〇年七月岡山で開催した大会において、昭和四〇年度賃金要求に関し、大巾賃上げの獲得を目指して交運共闘(私鉄総連を含む交通関係組合の共闘会議)、公労協(三公社五現業関係の九組合の組織)との共闘のもとにストライキ体制を強化して闘いをすすめる方針を決定し、次いで同年一〇月二八日に開催した第七二回中央委員会において、右大会決定をうけて「新賃金要求額等につき各職場で討議を重ねたうえ、一一月中旬以降、本部において要求額等を集約し、交運共闘、動労、公労協などとの調整を図り、同月下旬ごろ中央執行委員会で最終決定を行なう」旨を決定した。その後、中央執行委員会は右中央委員会決定に基づき、新賃金要求のための職場討議資料を二回にわたり発行し、各職場での討議を重ねて組合員の要求額を集約する一方、公労協賃専部会、交運共闘賃金部会で意見の調整を図ったうえ、同年一一月二六日被告当局に対し、国鉄労働者の賃金を総額で八、七〇〇円引き上げる旨の要求をなすことに決定したが、右要求内容は、「(一)国鉄労働者全員の基本給を六、六〇〇円プラス基本給の四パーセント引き上げる、(二)一八才高卒者の初任給を二二、〇〇〇円とする、(三)国鉄労働者一人当り五〇〇円の資金で自動昇給等の体系および不均衡是正を行なう」というにあった。そして、国労は、右内容の要求書を翌二七日被告の総裁宛に提出し、同年一一月二九日から翌四一年二月一八日まで、被告当局と八回にわたり団体交渉を重ねたが、被告当局は、民間春闘相場および被告の支払能力等を綜合的に検討したうえでなければ回答できないとして、有額回答を示さなかった。そこで、国労は、公労委での調停の場で右交渉を継続すべく、同年二月二六日公労委に対し、昭和四〇年度の賃金引上げに関する調停申請を行なった。

公労委は、右調停申請を受けて、同年三月一六日から同年四月一四日までの間、三回にわたり、労使双方から事情聴取を行なったが、被告当局は支払能力に問題があるとの態度に終始し、別段有額回答を示さなかったため、調停作業は進展しなかった。もっとも、被告当局はその後同年四月二二日、公労委に対し定期昇給を含めて平均二、六〇〇円の賃金引上げを行なう旨を回答したが、国労の受け入れるところとはならなかった。

(2) 国労は、前記団体交渉、これに引き続く公労委での調停作業が進展しない情勢のもとに被告当局に対し、ストライキをもって前記要求に対する有額回答を迫るべく、ストライキ体制確立の準備をすすめた。

すなわち、国労は、同年二月一日に開催した第七三回中央委員会において、同年四月早々に開く予定の臨時中央委員会までに全組合員からストライキ参加決意表明の署名を集める旨を決定し、次いで同年三月一八日に開催した全国戦術委員長会議において「交運共闘、公労協を結んだ統一ストライキとして四月下旬に半日程度の規模のストライキを二回行なう、各地方本部は、その力量に応じて最低二か所以上の拠点を予め設定する、拠点は原則として地域方式とする、ストライキ参加は原則として自主参加方式とする」旨の闘争戦術を決定し、さらに同年四月四日に名古屋で開催した春闘勝利総決起臨時中央委員会(第七四回臨時中央委員会)において右闘争戦術を承認し、「四月下旬の別に定める日に、交運共闘、公労協を結んだ統一ストライキを決行する、ストライキは二波を予め同時に設定し、半日ストライキとする、ストライキ参加は原則として自主参加方式とし、拠点は線区および地域を含む広い範囲で考え準備をすすめる、なお、地方の準備体制と情勢の進展に応じ一九日ごろ再度ブロック戦術委員長会議を開き、全般の戦術調整を行ない、戦術の細目と拠点の確認決定は中央闘争委員会で最終決定する」旨を決定した。そして、国労は同月九日中央闘争委員長(国労中央執行委員長)名の指令第二四号をもって、全国各地方本部闘争委員長らに対し「公労協、交運共闘とも四月六日委員長会議および委員長・書記長会議を開くなど四月下旬段階における闘いの意思統一を行なってきたが、四月七日両共闘合同の委員長・書記長会議を開き、四月二六日および三〇日に統一ストライキを決行するとの完全な意見一致をみた、四月二六日および三〇日に、別に指示した地方本部は指定された地域において半日ストライキを決行せよ、具体的な地域設定および戦術については別途指示した内容による、拠点地域では県評などに大量動員の要請、協力等の措置をとりストライキの成功を闘いとろう」との指令を発した。

(3) さらに国労は、同月一九日中央闘争委員会を開いて前記指令第二四号の統一ストライキ決行の方針を確認し、同月二六日北は北海道の釧路から南は九州の門司までの東京、名古屋、大阪、広島などの全国主要都市を含む全国一四地域の八八地区の電車区、操車場、車掌区など運転部門を中心として始発から正午までの半日ストライキを決行することにし、闘争体制の強化を指示した。

大阪地本における線区拠点としては、環状線、東海道本線、山陽本線、片町線等が指定された。

(4) 一方、被告当局は、同月二二日総裁名で全職員に対し右ストライキが違法である旨の警告を行なった。

(二) 大阪地本における本件半日スト突入にいたるまでの経過ならびに動員の経緯

(1) 大阪地本は、一三の支部と、右支部の下部組織の約一八四分会で組織され、本件半日スト当時約一万九、〇〇〇名余りの組合員を擁していた。そして、同地本においては、従来闘争時には、規約に基づき闘争委員会が設置され、右委員会が中央本部の決定した基本方針ならびに指令に基づき、闘争拠点、具体的な戦術の決定、闘争指導等にあたることになっていたが、このことは本件半日ストの場合も同様であった。

(2) 同地本は、前記第七三回中央委員会の決定に基づき、組合員からストライキ参加決意表明の署名を集めるなど闘争体制の確立を図ったが、同年四月一一日その頃設置されていた同地本闘争委員会は、前記同月九日の中央本部指令第二四号をうけて、右委員会委員長である同地本執行委員長名の闘争指令第二七号をもって各支部、分会闘争委員長に対し、「四月二六日と三〇日に別途指定される地域を重点として半日ストライキを決行する、各支部は四月一〇日から二〇日までの間に集中的に職場ごとの集会を開き、分会闘争体制の確立を図るよう」指示するとともに、同地本闘争委員らのオルグを派遣して、右半日ストについての組合員の意識の向上を図ることに努めた。

なお同地本における前記ストライキ参加決意の表明者は、同年四月四日現在で組織人員の六八パーセントであったが、同月一五日現在では七九・八パーセントに達した。

(3) 同地本は、前記中央闘争委員会の同年四月一九日付闘争体制強化の指示に基づき、同月二一日、「(一)、高槻、宮原、明石、森ノ宮、淀川各電車区および向日町運転所を拠点職場に指定し、これら職場を東部地区(高槻電車区、向日町運転所)、中部地区(宮原、淀川、森ノ宮各電車区)、西部地区(明石電車区)の三地区に分ける。(二)、ストライキ参加者は右拠点職場の電車運転士とし、自主参加方式とする。自主的にストライキに参加する電車運転士に対し、予想される当局側の説得等の介入を監視ないしはけん制すると共に、右運転士に対する激励を行なうため、右運転士が四月二五日の乗務を終える前記拠点職場等に大阪地本から非番、公休、勤務明け等で勤務時間外の一般組合員を少くとも一万人動員する。(三)、動員者の集合時刻は四月二五日朝とするが、勤務明けの組合員については同日午後六時とする。(四)、前記三地区に、それぞれ、中央本部派遣の中央闘争委員、大阪地本および、さん下各支部の闘争委員(主として執行委員)を配置して右闘争の指揮、指導に当らせる。(五)、右闘争にあたって、分会役員以下の組合員に対しては戦術等の決定、指揮の権限は付与せず、これらの闘争指導、指揮は地本闘争委員を責任者とし、支部役員を、その補佐役とする。」旨を決定し、これにより同地本における本件半日スト決行の闘争体制は最終的に確定した。

(4) そして、同地本さん下の各支部は、その頃、さん下各分会の分会長らを招集し、例えば吹田工場支部では同月二三日夕刻、全職場の分会長を集めて、森ノ宮、淀川各電車区および京橋派出所に組合員を動員するよう指示するなど、各支部ともそれぞれ各分会に対し動員者の人数の割当等を行なった。

(5) 一方被告の大阪鉄道管理局長は同月二三日管内全職員に対して、本件半日ストが違法である旨を重ねて警告した。

(6) このように同地本における本件半日ストは、前記各斗争拠点において、自主参加方式、すなわち前記のとおり右ストに参加することを自ら決意し、あらかじめその旨を書面(ストライキ参加決意表明書)で明確にしていた同地本所属の電車運転士約二五〇名(動労の運転士も含む)が当日自己の乗務を放棄することによって行なわれることになっていたものであるところ、同地本は、これら運転士が右ストの前日である同年四月二五日の乗務を終えた時点以降において、前記のとおり被告当局側が右運転士らに対し乗務をするよう説得するなど積極的に右ストに介入してくることがあるのを予想し、これを監視ないしはけん制するとともに、併せて右運転士らに対する激励を行なうため、非番、公休、勤務明け等で勤務時間外の一般組合員を動員するとの前認定の闘争方針に基づき、原告らを含む約一万人を動員した。そして、同地本は、同月二五日右電車運転士が乗務を終える駅、電車区、および被告当局が右運転士に対する乗務終了の点呼を行なう電車区派出所などの闘争拠点に右動員者を配置することにしたが、これらの動員者は、闘争指導のため各闘争拠点に配置された同地本の闘争委員(執行委員)および支部役員らの指揮のもとに、拠点である駅のホーム、電車区の着発線付近、あるいは電車区派出所の出入口付近に分散し、集会を開いたり、あるいは労働歌を歌ったりなどして待機し、その間一部の動員者は激励要員として約二〇名が一団となり、乗務を終えて下車する電車運転士らを拍手等で出迎え、あるいは右運転士が当局の右点呼を受けるため点呼場まで赴く際、同じく拍手などをしながら、これに同行するなどの行動をする手はずになっていた。一方右運転士らは、当局の右点呼を受けた後、直ちに組合の指揮下に入り、組合があらかじめ用意していた旅館等の宿泊所に赴き、前記のとおり翌二六日始発からの乗務を放棄することとし、本件半日ストに突入する態勢をととのえていた。このような動員の経緯のもとに、大阪地本における右半日ストが実施されるに至ったものである。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

2  本件半日ストにおける各闘争拠点の状況および原告らの行動

(一) 大阪環状線関係

≪証拠省略≫によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 環状線森ノ宮駅

(イ) 同駅での本件半日ストの前日である昭和四一年四月二五日午前から午後にかけての状況は左記(A)ないし(F)のとおりであった。

(A) 同駅には同月二五日午前一一時五〇分ごろ内回りホームに大阪地本執行委員長を初め約六〇名の一般動員者が集合していたが、このうち組合役員を含む約三〇名の者は、同日午前一一時五六分着の第四、二四三電車から、運転士が乗務を終えて下車し、前記点呼を受けに行く際、そのまわりを取り囲むような恰好で点呼場入口までこれに同行した。

(B) 国労岡山地方本部委員長を含む約二〇〇名の動員者は同駅外回りホームに集合していたが、このうち約五〇名の者は、同日午後四時四七分着の第六、三五六電車および、その後到着した電車から、運転士らが乗務を終えて下車し、前記点呼を受けに行く際、前同様これに同行した。

(C) 大阪地本吹田工場支部の動員者約六〇名のうち、約二、三〇名の者は同日午後五時四七分同駅外回りホームに到着した第四、三九〇電車から、運転士が乗務を終えて下車し、前記点呼を受けに行く際、前同様これに同行した。

(D) 右吹田工場支部書記長を含む動員者約二〇名は、同日午後六時三六分同駅外回りホームに到着した第四、四一八電車から、運転士が乗務を終えて下車し、前記点呼を受けに行く際、前同様これに同行した。

(E) さらに、前記岡山地本の動員者約二〇〇名は、同日午後一〇時四五分ごろ同駅内回りホームに到着した第六、五六一電車から、運転士が乗務を終えて下車し、前記点呼を受けに行く際、前同様これに同行した。

(F) このように、前記動員者らは、右運転士らと共に点呼場入口まで同行したが、右点呼場内に立ち入って右点呼を妨害するなどの行動はしなかった。なお、右運転士らは右点呼終了後、組合の用意した前記旅館等に赴いた。

(ロ) 同駅での本件半日スト当日たる同月二六日午前中の状況は左記(A)ないし(C)のとおりであった。

(A) 同月二六日午前四時三五分ごろから、動員者約二〇〇名ないし六〇〇名が同駅内回りホームに、支援の部外労組員約一、〇〇〇名が同駅外回りホームに、それぞれ集合していたが、右部外労組員は同日午前五時一五分ごろ外回り一番電車が到着すると、これに全員が乗り込み、かつ多数の者が右電車の扉にもたれてこれを閉まらないようにしたり、あるいは車内のDコックを開けるなどして発車を妨害し、このため同電車は定刻より遅れて同日午前五時四三分同駅を発車した。

(B) 前記動員者は、同日午前六時一一分ごろ内回り一番電車が到着すると、これに乗り込み、前同様電車の扉の閉鎖妨害を行ない、このため同電車は定刻より遅れて同日午前六時三八分同駅を発車した。

(C) なお、右動員者は、本件半日ストが予定よりも早く同日午前七時三〇分ごろから四〇分ごろまでの間に、中止指令によって解除されたため、その後同日午前八時過ぎごろまでに全部同駅から引き揚げた。

(2) 森ノ宮電車区

同電車区での前記同月二五日午後から翌二六日午前にかけての状況は左記(イ)ないし(ニ)のとおりであった。

(イ) 前記動員者約二〇〇名ないし三〇〇名は、同月二五日午後九時過ぎごろから、翌二六日午前零時過ぎごろまでの間、同電車区構内の着発線付近に白鉢巻等をして待機していたが、右動員者は、電車が右着発線に到着し運転士が下車すると、その都度拍手等でこれを出迎え、このうち四、五名ないし一〇名の者は前記点呼を受けるため点呼場に赴く右運転士に同行した。しかし、右動員者らは、被告当局が右運転士に対し右点呼を行なった際、これを妨害する等の行動には出なかった。

(ロ) 被告当局は、同電車区所属の運転士のスト参加に対処して、同月二六日早朝、指導員によって四本の電車を運転する計画をたて、同電車区着発一番線に午前四時四二分発の第一便電車、同二番線に午前四時四九分発の第三便電車、同三番線に午前四時五八分の第五便電車、同四番線に午前五時一〇分発の第七便電車(各六両編成)をそれぞれ留置していたが、約二〇〇名の動員者はタオル等で顔をかくし同日午前四時三〇分ごろから右四本の電車の先頭車の直前等に坐り込み、また五、六名の者はこれら先頭車の運転室に乗り込みこれを占拠する等の行動に出た。

(ハ) そこで、被告当局は同日午前五時三〇分ごろから構内放送や携帯マイクで再三にわたり退去通告を発したが、藤村中央闘争委員らの指揮する前記動員者は、これを無視して同日午前六時三〇分過ぎごろまで右坐込み等を続け、右四本の電車の出庫を阻止した。このため、前記第一便電車は臨時電車(京橋駅から第四、〇六五電車)として同日午前六時三八分に、前記第三便電車は同じく臨時電車(同駅から第四、〇九三電車)として午前七時一四分に、前記第五便電車は同じく臨時電車(同駅から四、〇八〇電車)として午前七時二一分に、前記第七便電車は同じく臨時電車(同駅から第四、一〇四電車)として午前七時五八分に、それぞれ予定よりおくれてようやく発車した。

(ニ) なお、右動員者は、前記のとおり同日午前七時四〇分ごろ本件半日ストが解除されたので、解散大会を開いたうえ引き揚げた。

(3) 淀川電車区

同電車区での前記同月二五日午前から午後にかけての状況は左記(イ)ないし(ニ)のとおりであった。

(イ) 大阪地本横田執行委員、同電車区岩津副分会長ほか約一八名の組合員は同日午前八時ごろから、同電車区事務室付近において、労働歌を歌うなどして気勢をあげていたが、同日午後七時過ぎごろから右横田、岩津らを含む約二〇〇名の動員者が白鉢巻等をして右電車区構内に集合した。そして、右横田、岩津ほか二、三名の組合員は、同日午後八時二二分ごろ同電車区に入庫した回第二五七電車から下車した運転士が前記点呼を受けるため点呼場に赴く際、これに同行した。

(ロ) 同日午後九時一三分ごろ右電車区に入庫した回第六九電車の武田運転士は、線路わきに待機していた約一三〇名の前記動員者のうち、五、六名の組合員によって、同電車区事務室の反対側に下車させられたうえ、前記横田、岩津ほか約四〇名の動員者に囲まれて連れ去られ、右運転士は被告当局の前記点呼を受けることができなかった。

(ハ) 同日午後九時三五分ごろ回第七一電車が右電車区に入庫すると、待機していた五、六名の動員者が右電車の運転室に入り、山村運転士および清水運転士見習の両名を右電車区事務室の反対側に下車させ、右両名は多数の組合員によって取り囲まれた。そこで付近にいた鉄道公安官が右運転士らを当局側で確保すべく、右組合員の行動を阻止しようとしたことから、その場でもみ合いになり、その際右山村運転士および鉄道公安官一名が負傷した。

(ニ) なお、右動員者は、その後同日午後一一時四〇分ごろ他に移動した。

(4) 淀川電車区京橋派出所

右派出所での前記同月二五日午前から翌二六日午前にかけての状況は左記のとおりであった。すなわち、環状線京橋駅構内所在の右派出所事務室付近には同日午前中から動員者が集まり、その数は、同日午後六時過ぎころで、吹田工場支部組合員を含め、約一〇〇名余りとなった。そして右動員者は、前記点呼を受けるため右派出所に来る電車運転士を拍手等で迎え、なお、うち一部の組合員は、右運転士に付添い、当直助役以外の当局側が右運転士に話しかける機会を与えないようにしていた。また、これら組合員のなかには、点呼場のなかに入り込み騒ぐ者もいたが、これによって当局の行なう右点呼の業務が特に妨害されたようなことはなく、本件半日ストが前記のとおり中止されるまでの間、これらの者と当局側との間にそれほど混乱はみられなかった。

(5) 京橋駅

同駅での前記同月二六日午前の状況は左記(イ)、(ロ)のとおりであった。

(イ) 前記動員者は、同日午前一時ごろから、同駅外回りホームに約六〇〇名、内回りホームに約四〇〇名が集合していたが、同日午前五時四分ごろ外回りホームに大阪駅始発の第四、〇〇二電車が到着すると、同ホームに待機していた右動員者の一部がこれに乗り込み、電車の扉を開けるなどの行為を繰り返して発車を妨害し、このため同電車は同日午前五時一五分ごろ予定より遅れて発車した。

(ロ) なお、右動員者は、本件半日ストの前記中止により、同日午前八時一七分ごろ解散した。

(6) 原告青木、同庄司、および同高岡(一番ないし三番)の行動

原告青木(一番)は、前記吹田工場支部第二電車職場分会書記長の地位にあったところ、右支部の指令により、動員者の一人として分会員六名と共に、白鉢巻をして前記同月二五日午後一時三〇分ごろ淀川電車区京橋派出所に赴いたが、右派出所での特に目立った行動はなく、ただ、同日午後四時ごろ前記点呼を受けに行く電車運転士の後から、約三〇名の動員者と共に、しかもその最後尾付近を少しはなれてついて歩いた程度であった。なお、同原告は、右支部の指令により同日午後七時ごろ同電車区に移動し、同日午後一一時ごろまで同電車区事務所付近で待機し、その間前記点呼を受けにきた電車運転士を、右支部組合員および分会員らと共に、拍手で迎え、あるいは労働歌を歌ったりなどして激励した。さらに、同原告は、その後右支部組合員と共に京橋駅に移動し、同駅ホームで仮眠したうえ、翌二六日早朝同駅周辺で待機し、本件半日ストの前記解除後、直ちに大阪駅に行き、そのまま吹田工場に出勤したが、電車の延着等のため、定刻より約五二分遅参した(右遅参の事実は当事者間に争いがない)。

原告庄司(二番)は、前記吹田工場支部工機職場分会の分会長の地位にあったところ、右支部の指令による動員者の一人として、前記同月二五日夕刻から他の分会員らとともに淀川電車区京橋派出所に赴き、その後翌二六日午前七時三〇分ごろまで京橋車掌区周辺で待機していたが、別に鉢巻等もしておらず、その他特に目につくような行動には出なかった。なお同原告は当日定刻より五二分遅参して勤務についた(右遅参の事実は当事者間に争いがない)。

原告高岡(三番)は前記吹田工場支部旋盤職場分会(当時分会員一三五名)の分会長の地位にあったが、前記同月二五日夕刻から右支部の指令による動員者の一人として、同分会員と共に森ノ宮電車区に赴き、右支部役員らの指揮のもとに、同日午後一〇時四〇分ごろ右電車区に入庫した電車の運転士が前記点呼を受けるために点呼場まで赴く際、右運転士のそばに付添って同行した。なお同原告は、その後電車乗務員室で仮眠したうえ翌二六日午前六時ごろから同電車区前広場で他の分会員と共に待機していたが、前記のとおり同日午前七時四〇分ごろ本件半日ストが解除されたので、解散大会に参加した後定刻より五一分遅参し、同日午前八時五一分勤務についた(右遅参の事実は当事者間に争いがない)。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

被告は、原告青木(一番)は前記同月二五日午後零時二六分勤務先の吹田工場を無断早退して前記闘争拠点に赴いたものである旨主張するので、この点について検討してみるのに、同原告が同月二五日午後一時半ごろ淀川電車区京橋派出所に赴いたことは前記認定のとおりであるところ、右事実に、≪証拠省略≫を総合すると、同原告は、同月二四日、翌二五日午後勤務につき半日の年次有給休暇の申込書を作成し、これを職場の助役に提出して、その承認を求めたところ、右助役は「異常事態だから承認を預らして貰う」旨を述べて右承認を留保し、翌日になっても右承認がなされなかった結果、右二五日午後零時二六分、当局管理者の承認を得ないで勤務先の吹田工場を早退し、右派出所に赴いたものであることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

ところで、年次有給休暇は、労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して休暇の時季(時期)指定をしたときは、客観的に労働基準法三九条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしないかぎり、右指定によって年次有給休暇が成立し、当該労働日の就労義務が消滅するものと解するのが相当である。これを要するに、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであって、年次有給休暇の成立条件として労働者による休暇の請求、およびこれに対する使用者の承認の観念を容れる余地はないのである。また、労働基準法三九条三項但書にいう「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきものである(最高裁判所昭和四一年(オ)第八四八号、四八年三月二日判決、同四一年(オ)第一、四二〇号、四八年三月二日判決参照)

これを本件についてみると、前認定のとおり同原告は、同月二五日午後の勤務につき事前に半日の年次有給休暇の申込をして、前記時季の指定をしたところ、右指定に対し前記助役は単に異常事態である旨を述べて、承認を留保したに止まるのであるから、右助役の右処置は労働基準法三九条三項但書にいう「正常な業務の運営を妨げる」ことを理由とした使用者の適法な時季変更権の行使とは認め得ないものであったといわなければならない。

したがって、同原告は、右休暇の時季の指定によって同日午後の就労義務を負担していなかったものというべきであるから、同原告が同日午後の勤務を欠いたことをもって、無断早退と断ずることはできない。そうすると、右に反する被告の前記主張は採用するに由ない。

なお、被告は、原告高岡(三番)は前記のとおり運転士に同行するに際し、右運転士に対し本件半日ストに参加するよう説得したり、また自己の分会員を指揮したりした旨主張するが、右主張を肯認し得る的確な証拠がないから、右主張も採用しない。

(二) 京都地区(京都駅および同駅構内所在の高槻電車区京都派出所)関係

≪証拠省略≫によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 同地区での前記同月二五日午前から翌二六日午前にかけての状況は左記(イ)ないし(ニ)のとおりであった。

(イ) 同地区には同月二五日午前六時ごろ前記動員者約一〇〇名が集合していたが、これら動員者のうち、大阪地本京都支部の人見副委員長ほか七名ないし一〇名の組合員は、同日午前六時ごろから、同日午前七時三五分ごろまでの間、京都駅に到着した第五、一〇二M電車ほか五本の電車の運転士らを同駅ホームにおいて出迎えたうえ、点呼場のある高槻電車区京都派出所まで右運転士らに同行した。なお、右運転士らは前記点呼後、自動車で組合の用意した旅館に赴いた。

(ロ) 右動員者の数はその後次第に増加したが、京都駅での同日午後の状況も、午前中とほとんど同様であって、同駅ホームで待機していた動員者約一〇〇名は、同日午後零時四五分着の第八四四M電車を初めとしてその後同駅に到着した各電車から乗務を終えて下車した運転士らを、拍手をもって、あるいは「ごくろうさん」と声をかけながら出迎え、ついで約一〇名ないし三〇名位の組合員が、前記点呼を受けに行く右運転士らに付き添い、点呼場のある右京都派出所入口まで同行した。当時右派出所の裏口と表口付近には約二〇名の動員者が待機していたが、当局の右点呼の業務は右動員者らによって妨害されることなく終了し、右点呼を終えた運転士らは自動車で組合の用意した旅館に赴いた。

(ハ) なお、同駅、および前記京都派出所付近に集結していた動員者の数は多いときで約二、〇〇〇名余り(このうち京都、吹田、滋賀、新幹線の各支部組合員は約九五〇名)に達したが、これら動員者と当局側との間で、特に混乱等を生じたことはなく、現に翌二六日午前四時ごろ当局側の対策本部員約二〇名が、かねて確保していた代替乗務員を留置中の電車まで誘導した際、右動員者はなんらこれを妨害しなかった。そして、同日午前四時五一分始発電車は右乗務員により定刻どおり発車した。

(ニ) 右動員者は、前記のとおり本件半日ストが中止されることになったため、同日午前七時過ぎごろから順次引き揚げて行った。

(2) 原告梅村(四番)、および同山下(五番)の行動

原告梅村(四番)は、当時大阪地本京都支部(当時一二分会、組合員約二、〇〇〇名)さん下の京都運輸分会(分会員約一五〇名)の分会長の地位にあったが、右支部の指令による動員者の一人として、分会員約七〇名と共に、前記同月二五日午後七時ごろ右支部に集合し、その後同日午後一〇時ごろ京都駅二号ホームに赴き、同所において右支部委員長、副委員長、書記長らの指揮のもとに、翌二六日午前一時ごろまでの間、白鉢巻をして電車が右ホームに到着する都度、右電車から乗務を終えて下車した運転士らを拍手で出迎えたり、あるいは上部組織である大阪地本および右支部からの指示を分会員らに伝達したりなどした。

原告山下(五番)は、前記京都支部京都保線区分会の分会長の地位にあったが、右支部の指令により右同様動員者の一人として京都駅に赴き、同駅三番ホームにおいて右支部役員らの指揮のもとに、電車運転士らを激励したり、あるいは他の組合員と共に、点呼場まで運転士に同行した。

以上の事実を認めることができる。

被告は、右原告両名の行動は、右認定の程度にとどまらず、右原告両名は、右のほか、電車運転士に対し本件半日ストに参加するよう呼びかけたり、自己の分会員らを指導、煽動して、前記同月二五日の乗務を終えた電車運転士が前記点呼を受けるため前記京都派出所まで赴く際、これに同行させたり、また右点呼を終えた運転士を旅館に連れ去らせたりして右運転士が右半日スト当日乗務できないようにした旨主張するが、右主張に一部符合する≪証拠省略≫は、前掲各証拠と対比してたやすく採用できず、ほかに右主張を認め得る的確な証拠がないから、右主張は採用しない。

(三) 大阪地区(大阪駅および同駅構内所在の宮原電車区大阪派出所)関係

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 同地区での前記同月二五日午前から翌二六日午前にかけての状況は左記(イ)ないし(ニ)のとおりであった。

(イ) 同地区には同月二五日午前一一時ごろから動員者が集まり、同日夕刻までにその数は約三〇〇名となったが、その後勤務明けの一般組合員がこれに加わり、大阪地本さん下の鷹取工場、梅田の各支部組合員を中心に約二、〇〇〇名が大阪駅およびその周辺に集合した。

(ロ) これら動員者のうち、約四〇名ないし六〇名の組合員は、同駅の七、八番ホームおよび五、六番ホームで待機し、川口大阪地本執行委員らの指揮のもとに、同日午後五時四八分着の第八八二M電車以降翌二六日午前零時五〇分ごろ着の第五、三六五電車まで計二〇本の電車から乗務を終えて下車した運転士らを拍手、喚声で出迎えたうえ、前記点呼を受けに行く右運転士らに付添い、点呼場のある右宮原電車区大阪派出所入口まで同行した。また、前記動員者のうち、約四〇〇名ないし五〇〇名の組合員は、同駅ホームから右派出所に至る職員専用通路の両側に列を作って待機し、右点呼を受けに行く運転士を同じく拍手等により、あるいは労働歌を合唱したりして激励した。

(ハ) さらに、右派出所の中にも、組合役員らが何名か常時たむろしていたが、右運転士らに対する当局の前記点呼は、これら役員あるいは前記動員者によって別段妨害されることなく終了し、右点呼後右運転士らは組合の用意した旅館等の宿泊所に赴いた。

(ニ) そして、右動員者は、本件半日ストの前記中止により同月二六日午前七時五〇分ごろ全部引き揚げた。

(2) 原告笠原(六番)を含む原告ら三六名の行動

原告笠原、同森田、同米津、同谷口、同辻東(六番ないし一〇番)は、いずれも大阪地本梅田支部(当時一一分会、組合員約一、四〇〇名)さん下の宮原操車場分会に所属していたものであるところ、同原告らは前記同月二五日組合の指令によっていずれも動員者として大阪駅に赴いたが、同原告らのうち、原告笠原(六番)を除くその余の原告らは、本件半日スト突入後の翌二六日午前四時ごろ同駅一、二番ホームにおいて、同所に集合していた約三〇名の動員者と共に、白鉢巻をし、労働歌を合唱するなどして気勢をあげた。

原告田中、同渡辺、同岡崎(旧姓西田)、同高見、同福井、同野村、同銘苅、同小柳、同辻、同岡田(弘)、同宮浦、同吉田、同高宮(正)、同吉原、同清水(旧姓森)、同松尾、同神稲(旧姓井門)、同藤崎(一一番ないし二八番)は、右梅田支部さん下の梅田運輸分会(当時分会員一四二名)に所属し、原告田中はその副分会長であったが、右支部の指令によって約五〇名の右分会員らと共に、いずれも動員者として前記同月二五日午前一〇時ごろ大阪駅構内所在の宮原電車区大阪派出所前の前記職員専用通路付近に集合し、右支部委員長らの指揮のもとに、白鉢巻等をして同所において待機し、その間前記点呼を受けるため右通路を通る電車運転士を拍手等で出迎えた。その後、同原告らは、同日午後四時過ぎごろ同駅五、六番ホーム(下り電車ホーム)に移動し、同ホームの西側貨物エレベーター付近において待機し、その間同ホームに到着した電車から乗務を終えて下車した運転士を同じく拍手等で出迎え、ついで前記点呼を受けるため、点呼場のある右派出所に赴く運転士の後から右派出所入口まで同行するなどの行動をした後、同日午後八時ごろさらに同駅七、八番ホーム(上り電車ホーム)に移動し、同所において同日の終電車が到着するまでの間待機し、その間、前同様の行動をした。

原告中井、同土井、同岡田(豊)、同森鼻、同岸、同柴田(健)、同阪上、同三浦、同木邨、同東谷、同中村、同谷口、同福岡、同田原、同安藤(二九番ないし四三番)は、前記梅田支部さん下の西成運輸分会(当時分会員約一二〇名)に所属し、原告中井はその分会長であったが、右支部の指令によっていずれも動員者として前記同月二五日午前一〇時ごろ前記派出所前の前記職員専用通路付近に集合したうえ、中西右支部委員長らの指揮のもとに、同日午後三時ごろから同日の終電車が到着するまでの間、前記大阪駅上り電車ホームの東降車口付近において待機し、その間同ホームに到着した電車から乗務を終えて下車した運転士を拍手等で出迎えるなどの行動をした。

原告芦田、同橋岡、同桑原、同上浜、同福原、同川勝、同中野、同植田、同立花(秀)、同置田、同平田、同善家、同下司、同吉本、同中田(四四番ないし五八番)は、前記梅田支部さん下の宮原客車区分会(当時分会員二五六名)に所属し、原告橋岡(四五番)は執行委員であったが、右支部の指令によって約一〇〇名の右分会員らと共に、いずれも動員者として前記同月二五日夕刻から大阪駅に赴き(ただし、原告橋岡は同日朝から同駅に赴き同日午後一〇時ごろ右分会員らと合流した)、同日午後一〇時ごろから同日の終電車が到着するまでの間、前記同駅上り電車ホームの東寄り付近において白鉢巻等をして待機し、その間同ホームに到着した電車から乗務を終えて下車した運転士を拍手等で出迎るなどの行動をした。

原告広井、同中津、同三町、同大平、同栗山、同高田(正)、同杉田、同水本、同立花(喜)、同林、同岡本、同今野、同池口、同藤本(秀)、同山口、同高田(滋)、同福田(五九番ないし七五番)は、前記梅田支部さん下の大阪印刷場分会(当時分会員二一名)に所属し、原告中津(六〇番)はその分会長、また原告広井(五九番)はその執行委員であったが、右支部の指令によっていずれも動員者として前記同月二五日の勤務終了後の午後六時ごろ前記宮原電車区大阪派出所前に集合したうえ、同日午後七時ごろから翌二六日午前一時ごろまでの間、松尾梅田支部執行委員の指揮のもとに、前記大阪駅下り電車ホームの西側階段付近において約一五〇名の動員者と共に待機し、その間同ホームに到着した電車から乗務を終えて下車した運転士を拍手等で出迎えるなどの行動をした。なお、原告広井(五九番)は同日午後一〇時三〇分ごろから午後一一時ごろまでの間、同駅五番線に到着した二本の快速電車から乗務を終えて下車した運転士らが前記点呼を受けるため点呼場のある右派出所に赴く際、拍手をしながらその入口付近まで右運転士らに同行した。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

被告は原告広井(五九番)は前記のとおり運転士に同行するに際し、その腕をかかえ込んでいた旨、および同原告は、運転士に対し本件半日ストに参加するように呼びかけたり、また、運転士を前記派出所から他に連れ去ったりして運転士が同月二六日所定時刻までに乗務できないようにした旨主張するが、これを認め得る的確な証拠がない。もっとも前掲乙第五七号証中には、同原告が乗務員の腕を組んで連行した旨の右主張に一部符合する記載部分が存在するが、右連行の意味が右記載だけでは明確でないのみならず、≪証拠省略≫によれば、右乙号証の作成者である右川村は、一〇メートルないし三〇メートル位はなれた場所から同原告らの行動をみていたものであるところ、当時は夜間(午後一〇時三〇分ないし午後一一時ごろ)で、しかも同原告の付近には約一〇〇名の組合員が集っていたことが認められるところ、右事実に≪証拠省略≫を合せ考えると、右川村は、同原告の前記拍手の動作を、同原告が運転士の腕をかかえ込んでいるものと誤認した疑いもあるから、右乙号証の右記載部分を採用して被告主張の同原告による右連行の事実を肯認するに由ないものというべきである。したがって、被告の前記主張は採用できない。

さらに、被告は、原告笠原(六番)、同森田(七番)、同米津(八番)、同谷口(九番)、同田中(一一番)、同渡辺(一二番)、同高見(一四番)、同福井(一五番)、同中井(二九番)、同土井(三〇番)、同岡田(豊)(三一番)、同芦田(四四番)、同橋岡(四五番)、同中津(六〇番)、同三町(六一番)、同大平(六二番)、同在町(七六番)らは、それぞれ分会の役員の地位にあり、前記同月二五日の夕刻から大阪駅に集合していた組合員らを指揮して乗務員らを連行させ、また自らもこれを行なった旨主張するが、右原告らの当日の行動は前記認定のとおりであって、右原告らによるかかる連行等の事実を肯認し得る的確な証拠がない。したがって、被告の右主張も採用できない。

(四) 神戸地区(神戸駅および同駅構内所在の明石電車区神戸派出所)関係

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 同地区での前記同月二五日午後から翌二六日午前にかけての状況は左記(イ)、(ロ)のとおりであった。

(イ) 同地区には同月二五日夕刻ごろから動員者が集まり、その数は同日午後一〇時ごろになると、部内者だけで約二三〇名(部外者も含めれば約八〇〇名余り)に達したが、右動員者のうち、約四、五〇名の組合員は大阪地本神戸支部小泉執行委員の指揮のもとに神戸駅のホームで待機し、同日午後一〇時一四分着の第九〇七M電車以降翌二六日午前一時ごろ到着の第五、三六一電車までの三本の電車が同ホームに到着すると、その都度右電車の運転室付近から明石電車区神戸派出所入口にかけて人垣を作り、乗務を終えて下車した電車運転士らを拍手、喚声で出迎えたうえ、四、五名の組合員が点呼場のある右派出所まで右運転士らに同行した。そして、当局の前記点呼を受けた右運転士らが右派出所から退出すると、前記四、五〇名の動員者は右派出所から前記ホームの東階段にかけて人垣を作り、この人垣の中をさらに四、五名の組合員が右運転士らに付添ってホームから立ち去った。

(ロ) 右運転士らは、いづれも右点呼の際、当局側からスト参加を中止するよう説得されたが、これを拒否し、右のように組合員と同行した。その際後記のとおり当局側と右組合員との間に一時もみ合いを生じたが、右以外にはさしたる混乱はなく、右動員者は同月二六日午前一時三〇分ごろ解散した。

(2) 原告藤本(憲)(旧姓角田、七七番)の行動

同原告は、前記神戸支部さん下の尼崎運輸分会青年部長の地位にあったが、右支部の指令により約一五名の右分会員と共に動員者の一人として同月二五日神戸駅に赴き、同駅ホームにおいて白鉢巻等をし、四、五名の動員者と共に、同ホームに到着した電車から乗務を終えて下車した運転士らを拍手等で出迎え、また前記五、三六一電車の運転士が前記点呼を受けるため前記派出所内にある点呼場に赴く際、および右派出所から退出する際、それぞれ右運転士に同行した。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

被告は、同原告は、同月二五日午後一〇時二〇分ごろ神戸駅下りホームにある明石電車区神戸派出所付近において、当局から争議対策のために派遣された大阪鉄道管理局の広野貨物課長に対し体当りをした旨主張し、なるほど≪証拠省略≫には、右主張に符合する記載部分がある。しかしながら、右記載部分は左記各証拠と対比してにわかに採用し難く、ほかに右主張事実を認め得る的確な証拠がない。かえって、≪証拠省略≫によれば、右時刻ごろ右動員者が、右派出所から点呼を終えて退出する運転士の周りに人垣をつくり、当局側を右運転士と接触させないようにしていたところから、右運転士を確保しようとする当局の管理者側との間に一時もみ合いが起り、その際右広野課長に体当りした者がいるが、その者は、前記尼崎運輸分会青年部所属の一部員であって、同原告ではないことがうかがわれるから、被告の右主張は採用できない。

(五) 姫路駅関係

≪証拠省略≫によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 同駅での前記同月二五日午後から翌二六日午前にかけての状況は左記のとおりであった。すなわち、前記動員者は、同月二五日午後五時過ぎごろ同駅付近に四、五〇名が集合したのを初めとして、その数は漸次増加し、同日午後一〇時ごろには大阪地本の組合員を中心に約三〇〇名に達した。これら動員者は、同日午後七時ごろから一班五、六〇名の班に編成され、交互に同駅六、七番ホームで待機し、岡野姫路第二機関区支部委員長の指揮のもとに、同日午後七時二八分着の第九六五M電車から翌二六日午前零時四二分着の第一、六一五M電車まで、同ホームにこれらの電車が到着すると、その都度、乗務を終えて下車した運転士らを出迎えた。ついで、右運転士らは前記点呼を受けるため点呼場に赴いたが、その際、右岡野ほか一名の支部役員においてその横に付添い、なおその後から約三〇名の組合員が拍手、喚声をあげながらこれに同行した。

右動員者は、翌二六日午前一時三五分ごろ約一〇〇名を残して同駅から退去し、右一〇〇名の者も本件半日ストが前記のとおり中止されたことにより同日午前七時三八分ごろ解散した。

(2) 原告森、同河本、同柴田(敏)(七八番ないし八〇番)の行動

同原告らは、大阪地本姫路支部(当時二三分会)さん下の姫路運輸分会(当時分会員約一五三名)に所属し、原告森(七八番)は右分会書記長、同河本(七九番)は右分会委員長、また同柴田(敏)(八〇番)は右分会執行委員の地位にあったが、同原告らは、右支部の指令によって、約四二名の右分会員らと共にいずれも動員者として前記同月二五日午後五時ごろ右姫路支部前に集合し、第一班に所属したうえ、班長である井上右支部執行委員の指揮のもとに、姫路駅六、七番ホームにおいて同日午後八時四〇分過ぎごろから翌二六日午前一時ごろまで約五、六〇名の動員者と共に白鉢巻をして待機し、その間、同ホームに到着した電車から乗務を終えて下車した運転士を拍手等で出迎えた。

なお原告森(七八番)は、同日午後八時三五分ごろ同駅陸橋階段において、運転士の肩を抱き他の動員者二、三〇名と共にこれに同行し、さらに同日午後一〇時四五分ごろ同駅七番線に到着した第六四一M電車から乗務を終えて下車した運転士が点呼場に赴く際、右運転士の後から約三〇名の組合員と共にこれに同行した。また、原告河本(七九番)、同柴田(敏)(八〇番)らは、同日午後一一時二分ごろ同駅六番線に到着した第九〇五M電車から乗務を終えて下車した運転士が点呼場に赴く際、右運転士の後から約三〇名の組合員と共にこれに同行した。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

被告は、右原告らは組合員約三〇〇名を姫路駅構内に集結させたり、自らも運転士の腕を抱え込んだり、また組合員をして右運転士を包囲させて組合側の準備した旅館へ連れ去らせたりした旨主張するが、右主張を肯認させる的確な証拠がないから、右主張は採用しない。

3  大阪鉄道管理局管内における本件半日ストの影響

≪証拠省略≫によると、前記同月二六日本件半日ストが行なわれた結果、大阪鉄道管理局管内において当日左記(一)、(二)のとおり電車、列車の運転休止および遅延が発生したことを認めることができる。

(一) 大阪環状線内回り電車

大阪駅発の電車は、同日午前四時五五分発第四、〇〇一電車一本、京橋駅発の電車は同日午前四時五一分発第六、〇〇三電車以降同日午前六時四二分発第六、〇六三電車までの一六本、天王寺駅発の電車は同日午前四時四七分発第四、〇〇七電車以降同日午前七時五五分発第四、一二一電車までの四一本の電車が、いづれも運転休止となり、また天王寺駅同日午前六時一分発の第四、〇四五電車は代替運転士により天王寺駅から京橋駅まで運転したが、京橋駅で三〇分遅延したため、以後運転休止とし、同電車を京橋駅から同駅同日午前六時五七分発第四、〇七三電車に変更し、大阪駅まで運転したが六四分遅延した。

(二) 同外回り電車

大阪駅発の電車は同日午前四時五四分発第四、〇〇六電車以降同日午前六時五三分発第六、〇六二電車まで一三本の電車、京橋駅発の電車は同日午前四時五三分発第六、〇〇四電車以降同日午前六時四九分発第六、〇五四電車まで四本の電車、天王寺駅発の電車は同日午前四時四六分発第四、〇一〇電車以降同日午前七時六分発第四、〇八四電車までの一七本の電車、桜島駅発の電車は同日午前六時三分発第六、〇五〇電車以降同日午前七時一五分発第六、〇八六電車までの六本の電車がいづれも運転休止となり、代替運転士によって運転した二本の電車は一三三分ないし七八分それぞれ遅延した。

(三) 東海道本線および山陽本線においては、同日午前九時現在で、合計八〇本の電車、列車が運転休止となり、また一九本の電車、列車が最高四六分三〇秒遅延したが、その詳細は別紙(二)記載のとおりである。

以上の事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

(四) ところで、前記認定のとおり、本件半日ストは、国労が北は北海道の釧路から南は九州の門司まで、東京、名古屋、大阪、広島など全国主要都市を含む一四地域の八八地区の電車区、操車場、車掌区など運転部門を中心として、前記同月二六日の始発から同日正午までこれを決行することになっていたところ、右ストライキの一環として大阪地本において同日始発から、同日午前七時四〇分ごろストライキ中止が指令されるまで多数の電車運転士が乗務を放棄し、また部内動員者、支援の部外労組員らによって大阪環状線森ノ宮、京橋の各駅、および森ノ宮電車区において電車の運行が妨害された結果、大阪鉄道管理局管内における電車、列車等への影響だけをとってみても、前記のとおり大阪環状線の内回り電車は合計五九本が運休、一本の電車が六四分遅延し、同外回り電車は合計四〇本が運休、二本の電車が一三三分ないし七八分遅延し、東海道本線および山陽本線の電車、列車は同日午前九時現在で合計八〇本が運休、一九本の電車が最高四六分余り遅延したものであって、これらの事実に照らし、本件半日ストは、被告の正常な業務の運営を阻害し、ひいては国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれのあるものであったといわなければならない。原告らは、右半日ストは右の程度に至らないものである旨主張するが、右主張は採用しない。

4  原告らの行動の評価

(一) 被告の原告らに対する本件懲戒処分は、要するに、前記のとおり原告らが本件半日ストに参加し、被告の正常な業務の運営を阻害したのは、懲戒事由について定めた日本国有鉄道就業規則六六条一七号にいわゆる、「著しく不都合な行為をしたとき」に該当するという理由で、右就業規則の規定、および国鉄法三一条一項一号を適用してなされたものである。換言すれば、原告らが右半日ストに際し、公労法一七条一項で禁止されている争議行為をしたことが国鉄法三一条一項一号にいう業務上の規程すなわち日本国有鉄道就業規則の右規定に牴触するというにほかならない。

(二)(1) ところで、原告らは、本件半日ストにおける原告らの行動は、別段右争議行為に該当しない旨主張するので、まずこの点について考察する。

(イ) 原告らは、国労の前記斗争方針に基づき、大阪地本さん下の多数の組合員らとともに動員され、前記昭和四一年四月二五日から翌二六日にかけて前記各斗争拠点の駅ホーム等に集結し、前記地本斗争委員、支部役員らの指揮の下に、本件半日ストを実行することになっていた前記電車運転士らを拍手等で出迎えたり、あるいは右運転士らが前記点呼を受けに赴く際これに同行する等の行動に出たものであって、このことは前記認定から明らかなところである。

(ロ) ところで、公労法一七条一項前段は、公共企業体等の職員および組合が公共企業体等に対し、同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることを禁止しているところ、原告らは、前記のとおりもともといずれも非番、公休、あるいは勤務明け等で職務につくことを要しなかったものであるから、原告らが右のように右半日ストの前日およびその当日前記各斗争拠点に赴き、この間就労しなかったからといって、別段同条一項前段所定の右同盟罷業を自ら実行したものということができないのはもちろんである。

しかしながら、同条一項前段で禁止されている「その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為」の中には、前記同盟罷業等に際し、その実効を確保し、併せてスト組合員の団結の防衛をはかるために、通常行なわれるいわゆるピケッティング等の行為も含まれているものと解すべきである。しかるところ、前記(イ)の事実に、前記認定から明らかなように、原告らを含む前記組合員らの行動は、これを全体としてみれば、右半日ストの実行者である前記電車運転士らを激励するとともに、加えて、被告当局の運転士らに対する介入を監視し、もしくはけん制することによって右運転士らを組合の掌握下に置くために行なわれたものであって、現に前記のとおり何個所かの斗争拠点において、右運転士らを確保しようとする被告当局側と右組合員らとの間にもみ合いを生じた事実等のあったことを併せ考慮すれば、原告らを含む組合員らの右半日ストに際しての行動は、右半日ストの実行者である前記電車運転士らとの団結を強化して右運転士らの右半日スト参加の決意を保持し、もって右半日ストの実効を確保するために行なわれたものであるとみるのが相当である。ところで、右運転士らによる右半日ストが、前記規模等からみて被告の業務の正常な運営を阻害するものであり、同条一項前段で禁止されている同盟罷業に該当するものであることは前記認定のとおりであるから、右半日ストを実効あらしめるためになされた原告らを含む右組合員らの行動は、前記説示に照らし全体として争議行為を構成するものといわざるを得ない。したがって、右に反する原告らの前記主張は採用できない。

(2) そこで、被告において、原告らの右争議行為を理由に、国鉄法三一条一項一号、および日本国有鉄道就業規則六六条一七号を適用して原告らを懲戒処分に付し得るものであるかどうかについて考察する。

(イ)(A) ところで、原告らは、被告その他の公共企業体等の職員の争議行為を禁止する公労法一七条一項は憲法二八条に違反し無効であるから、被告は原告らの右争議行為を理由として懲戒処分に付し得ない旨主張する。

思うに、憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障しているが、この労働基本権保障の狙いは、同法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で同法二七条の定めるところによって、勤労の権利および勤労条件を保障すると共に、他方で同法二八条の定めるところによって経済的劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、いわゆる労働基本権を保障しようとするものである。このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨に即して考えれば、実定法規によって、労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神に即してその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権、団結権、団体交渉権、争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。そして、右の労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、被告の職員のような公共企業体の職員も同法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的にはその保障を受けるべきものと解される。

しかし、右の労働基本権といえども、なんらの制約も許されない絶対的なものではないのであって、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を伴っているものと解釈しなければならない。そして、具体的にどのような制約が許されるかについては諸般の条件、特に次ぎの諸点を考慮に入れて慎重に決定する必要がある。すなわち、①労働基本権が勤労者の生存権に直結し、これを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は合理性の認められる必要最少限度のものに止どめられるべきこと、②労働基本権の制限は勤労者の提供する職務又は業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについてこれを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきこと、③労働基本権の制限違反に伴う効果、すなわち違反者に対して課せられる不利益については必要な限度をこえないように十分な配慮がなされなければならないこと、④職務または業務の性質上からして、労働基本権を制限することがやむを得ない場合には、これに見合う代償措置が講ぜられなければならないこと、以上の諸点を特に考慮すべきものである。

ところで、公労法の適用事業である被告の業務についていえば被告は、わが国全土にわたって、旅客、貨物の輸送業務を行ない、わが国の交通網のいわば大動脈の地位を占めているといっても過言でないものであって、国民生活全体との関連性はきわめて強く、その業務の停廃は国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるなど、社会公共に及ぼす影響がきわめて大きいことは、顕著な事実であり、多言を要しない。したがって、右業務に従事する被告の職員に対して、その争議行為を禁止する規定を設け、その禁止に違反した者に対して不利益を課することにしても、その不利益が前記基準に照らして必要な限度をこえない合理的なものであるかぎり、これを違憲無効ということはできないのである。

しかるところ、公労法三条は、争議行為についての民事免責の規定である労組法八条の適用を除外し、また公労法一八条は、同法一七条に違反して争議行為をした職員の解雇について規定しているにとどまるから、右争議行為の禁止に違反したことにより課せられる不利益とは、これらの民事責任を免れないという意味においてであることはもちろんである。しかも、公労法は、右のように争議行為を禁止するについてその代償措置として、右職員と公共企業体等との間の紛争に関し、公労委による同法二六条所定のあっせん、同法二七条ないし二九条所定の調停、および同法三三条ないし三五条所定の仲裁の制度を設け、ことに公益委員をもって構成される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束する旨規定している。

以上の点から考察すれば、同法一七条一項の規定により、これに違反した被告その他の公共企業体等の職員に対し民事責任を伴う争議行為の禁止をすることは、別段憲法二八条に違反するものではないというべきである(最高裁判所四一年一〇月二六日判決、刑集二〇巻八号九〇一頁参照)。したがって、右に反する原告らの主張は採用できない。

(B) なお、原告らは、公労法一七条一項の規定は、憲法三一条に違反し無効である旨るる主張する。しかしながら、原告らがその理由として述べる公労法制定当時の立法事実が現在全く合理性がないといえないことは前記説示から明らかなところであるから、右主張も採用できない。

(ロ) 次に原告らは、被告の職員の争議行為については、国鉄法および日本国有鉄道就業規則の各懲戒規定を適用して懲戒処分をすることは許されない旨主張する。

なるほど、争議行為はほんらい集団的労働関係たる性質を有し、また、公労法一七条一項の規定に違反して右争議行為をした公共企業体等の職員に対しては、同法一八条が解雇されるものとする旨定めているのみであるが、これらのことから直ちにかかる争議行為をした職員に対しては、右懲戒規定の適用が排除されると解すべきではなく、該行為が公労法一七条一項の要件のみならず、右懲戒規定の要件も充足する場合には、その態様、程度等に応じ、当該職員につき、解雇をするか、あるいは懲戒処分その他の措置をとるかは、当局の合理的裁量により決せられるべきものと解するのが相当である。したがって、右に反する原告らの前記主張は採用することができない。

(ハ) ところで、前記のとおり本件半日ストを実効あらしめるために行なわれた原告らを含む前記組合員らの前記争議行為は、公労法一七条一項前段に違反し、ひいて日本国有鉄道就業規則六六条一七号所定の「著しく不都合な行為」に該当するものと解せられるから、以下被告当局において、右就業規則の規定および国鉄法三一条一項一号を適用し、原告らを本件懲戒処分に付したことが、懲戒権の行使として相当であるかどうかについて検討する。

思うに、一口に公労法一七条一項違反の争議行為といっても、その形態は多種多様であるから、かかる争議行為をした公共企業体等の職員に対し、当局がその裁量に基づき懲戒処分をする場合においても、該懲戒処分は、右職員の労働基本権を保障した憲法の根本精神に照らし、右争議禁止規定に違反した右職員の行為の態様、程度等に応じ、かつ必要な限度を超えない合理的な範囲にとどめられるべきものというべきである。したがって、右に反し、該懲戒処分が右職員の行為の態様、程度等に比較して均衡を失し苛酷なものである場合には、右懲戒処分は、妥当性および合理性を欠き、いわゆる懲戒権の濫用として無効となるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるのに、原告らは、前記のとおり他の多数の組合員らとともに、本件半日ストを実効あらしめるために、前記争議行為に参加したのであるが、原告らの右参加の態様、程度等を個別的に考察すると、前記認定のように、大阪環状線の拠点である京橋駅に赴いた原告庄司(二番)は前記同月二五日から翌二六日朝本件半日ストが解除されるまでの間、右拠点周辺において待機していただけであり、また大阪地区の拠点に赴いた原告笠原(六番)、原告森田(七番)、同米津(八番)、同谷口(弘)(九番)、同辻東(一〇番)、同在町(七六番)は、原告笠原(六番)を除き(同原告がいかなる行動をしたかは明らかでない)、右半日ストに突入後の右二六日の早朝右拠点において労働歌を歌ったりして気勢をあげ、京都地区の拠点に赴いた原告梅村(四番)、大阪地区の拠点に赴いた原告中井、同土井、同岡田(豊)、同森鼻、同岸、同柴田(健)、同阪上、同三浦、同木邨、同東谷、同中村、同谷口(修)、同福岡、同田原、同安藤、同芦田、同橋岡、同桑原、同上浜、同福原、同川勝、同中野、同植田、同立花(秀)、同置田、同平田、同善家、同下司、同吉本、同中田、同中津、同三町、同大平、同栗山、同高田(正)、同杉田、同水本、同立花(喜)、同林、同岡本、同今野、同池口、同藤本(秀)、同山口、同高田(滋)、同福田(二九番ないし五八番、六〇番ないし七五番)らは乗務終了の運転士をおおむね拍手などで出迎えたにとどまり、さらに大阪環状線の拠点に赴いた原告青木(一番)、同高岡(三番)、京都地区の拠点に赴いた原告山下(五番)、大阪地区の拠点に赴いた原告田中、同渡辺、同岡崎、同高見、同福井、同野村、同銘苅、同小柳、同辻、同岡田、同宮浦、同吉田、同高宮、同吉原、同清水、同松尾、同神稲、同藤崎(一一番ないし二八番)、同広井(五九番)、神戸地区の拠点に赴いた原告藤本(憲)(七七番)、姫路地区の拠点に赴いた原告森、同河本、同柴田(敏)(七八番ないし八〇番)らは、乗務終了の前記電車運転士らを拍手等で出迎えたうえ、さらに右運転士らが前記点呼を受けるために点呼場に赴く際、その入口までこれに同行したにすぎないものであり、しかも原告らの右同行等の行動は、国労大阪地本、支部の役員らの指揮のもとになされたものである。

これを要するに、本件半日ストに際し、原告らのとった行動は、組合役員らの指揮のもとに、以上のような待機、労働歌の合唱、あるいは拍手ないし点呼場入口までの同行の程度にとどまり、別段原告らにおいて、被告当局の前記点呼業務を阻害したものでないのはもちろん、右運転士らの脱落を防止し、あるいはその就労を妨害するために、その意に反して右運転士らを前記宿泊所等に連行し、あるいは右連行後これを監視する等の手段を講じ、右運転士らをして右半日スト当日における乗務の放棄を余儀なくさせたものでもなく、また、前記認定のとおり被告当局と組合員らとの間のもみ合い、あるいは組合員らによる発車妨害等の事態が生じた際、原告らがこれに加わったものとも認められないのである。換言すれば、原告らが右半日ストに際し、他の多数の組合員らと共にとった行動は、これを全体としてみれば、前記のとおり右半日ストを実効あらしめるための争議行為として評価されるべきものであるが、原告ら個々の行動に即して考察すれば、右説示から明らかなように、原告ら自身は、現実に被告の業務を阻害するような行動を直接したわけではないのである。

ところで、かかる態様、程度の原告らの行為に対し、前記のとおりこれが被告の正常な業務の運営を阻害する著しく不都合な行為に該当するという理由で、一律に懲戒処分をもって臨むことは、たとえその内容が、原告広井(五九番)、同森(七八番)につき減給(同原告らに関しては、本件前にすでに戒告処分を受けているとの一事により、他の原告らよりも一段重い前記減給に処せられたものであることは弁論の全趣旨によって明らかである。)、またその余の原告らにつき戒告の程度にそれぞれとどまるものであるにしても、これに前記昇給延伸という著しい経済的不利益が伴うことを併せ考慮すれば、争議権を保障した前記憲法の精神に徴し、合理性の範囲を超え、妥当性を欠くものといわざるを得ない。そうすると、原告らに対する本件懲戒処分は、被告がその懲戒権を濫用してなしたものであって、前記説示に照らし無効というべきである。

5  そうすると、被告に対し本件懲戒処分すなわち原告広井(五九番)、同森(七八番)につき各減給処分、その余の原告らにつき各戒告処分の無効確認を求める原告らの本訴請求部分は、正当としてこれを認容すべきである。

第三  原告広井(五九番)、同森(七八番)の各金員支払請求について

一  被告が原告広井(五九番)、同森(七八番)に対し、右各減給処分をした結果、昭和四二年一二月二〇日に支給した同月分給与から原告広井(五九番)につき金一、四六四円、同森(七八番)につき金一、四一七円をそれぞれ減額したことは当事者間に争いがないところ、原告森(七八番)の分については、計算違いにより金四〇円余分に減額されていることが後日判明し、被告は同原告に対し右金四〇円を支払ったから、結局同原告の分で減額された金額はこれを控除した残額金一、三七七円であって、このことは同原告において明らかに争わず、また弁論の全趣旨によるもこれを争うものとは認められないから、これを自白したものとみなされる。

二  ところで、右減額措置の根拠となった各減給処分は前記のとおりいずれも無効であるから、被告は、原告広井(五九番)に対し未払賃金である右金一、四六四円、同森(七八番)に対し同じく右金一、三七七円、および右各金員に対する前記支給日の翌日である昭和四二年一二月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うものといわなければならない。

三  そうすると、被告に対する原告広井(五九番)の金員支払請求は全部正当であるからこれを認容し、また原告森(七八番)の金員支払請求は、前記限度において正当であるから、これを認容し、その余を失当として棄却することとする。

第四  よって、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 日高敏夫 裁判官 三島昱夫 裁判官神田正夫は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 日高敏夫)

〈以下省略〉

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